ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.79 "杉村徹さんと音楽" "池田優子さんの気持ちの良い方向"

ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.79 "杉村徹さんと音楽" "池田優子さんの気持ちの良い方向"

<2015年6月号>

杉村徹さんと音楽

杉村徹さんとのお付き合いは長い。
そして gallery ten の企画展では、今回で6回めの最多でお世話になっています。
以前は愛知県常滑で、現在は茨城県龍ヶ崎で制作をされていて、公私にわたって何度も伺い交流させていただいています。
杉村さんの作品を知って以降、杉村作品にほれ込み、また私自身の木工作品の好みというものが確立されたような気がします。
全体をぼんやり見ると至ってシンプル。
作為のない作為、意匠のない意匠、独創のない独創が、ムダをそぎ落としたシンプルな中に宿っています。
時間を経ても陳腐化しない、飽きない、汚らしくならない、・・・・・。
それどころか、その作品に時間とともに味わいが増してきて、新しいものより魅力的になる。愛着もわく。
今まで杉村さんの作品をお買いいただいたお客様方から、喜びのお声をよく耳にします。
私自身も使い手であるので、杉村作品への満足度はとても高いし、誰よりもそのよさを知っていると自負します。

杉村さんは音楽がとてもお好きだ。
一日の生活の中で常に音楽があり、そこから無意識に学び取るもの、観念、嗜好、・・・などいろいろなものがじわじわと杉村さんの身体にしみわたっていく。
いろんなジャンルの音楽を聴く中で、最近、私の知らないアイドルグループにハマっているとのこと。
女の子がかわいいとか好きだとかということではなく、彼女らが歌う楽曲が音楽的に優れているというのです。
どうよいのか説明をしてくださいましたが、私にはほとんど理解できず。
杉村さんのことは結構知っているつもりでしたが、意表を突かれた事実でした。
しかし、それが凡人の私にとっては意外であっても、杉村さんにとってはちゃんとした伏線のある一面なのでしょう。
“ソコ”なのです。
生真面目な哲学が杉村さんの作品に表れていて、人を納得させるだけの理屈なき理屈がある。
その哲学の美しさに人はその存在に魅了されていくのです。
またいつも変わらず穏やかで紳士なお人柄が、普遍的な作品力をも確固たるものにしていくのだと思います。

今回も、スツール、テーブル、壁の棚、器など、美しく洗練された作品が勢ぞろいします。
また、サイズや用途に応じて、家具等のご注文も承ります。
杉村作品を知った方はもっと、知らない方はぜひご高覧くださいませ。
蟻地獄におちていくように作品にのめりこんでいくご覚悟をもってお臨みください。(笑)





池田優子さんの気持ちの良い方向

生まれも育ちも大阪の池田優子さん。
子どもの頃から、絵や雑貨が大好きだった優子さん、将来はイラストレーターか何か絵を描く仕事をしたいと漠然と思っていました。
また、海が好きで、いつか海のそばですんでみたい、海外にも興味がある、それでは留学をしようと、
アメリカ・サンディエゴにアートの専門学校を見つけ、2年半ほどそこで学びました。
帰国し、しばらくは家でのんびりしていたのだそう。
お父さまは趣味で陶芸教室に通われていましたが、どういうわけかケンカをしてやめてしまいました。
それでも陶芸熱は冷めず、中古の窯を手に入れ、道具を買うのに惜しみなくお金を費やし、自宅で作陶できる環境を作られました。
優子さんは就職活動をしながら、お父さまと二人で陶芸の本やビデオを見ながら、毎日ろくろの前に向かいました。

優子さんは、その後就職してグラフィックデザインの仕事をしていましたが、ずっと陶芸のことが気になっていて、思い切って会社を辞めました。
大阪市内のワンルームマンションを借り、そこを店にして、自分の作った陶作品を並べて売ろうと考えました。
週のうち半分は自宅で作陶、もう半分は店で販売。
ヒマでも焦らず読書を楽しみ、お客様が来られたら自分の作品の反応を直に感じられ、またいろんな意見を聞いてまた作ってみるということが楽しかったそうです。
何の迷いもなく自分の気持ちにおもむくままマイペースに淡々と過ごす。
その優子さんの気持ちの良い方向というのは結婚してその暮らしの中でも見出されていました。
家の中を整理整頓したり、料理を作ったり、本を読んだり、子育てをしたり、・・・・・。
そんな家庭的なことが好きで、自分をリフレッシュさせてくれるのだそうです。
ただ、陶芸を本格的に学んでいない優子さんが、このまま作陶していてもよいのだろうかと悶々としていた時期もあり、
お子さんが生まれてからしばらくは作陶をやめていました。
それから2年ほどたったある日、「陶芸をやりたい!やろう!絶対やめない!」と思い立ち、そのまま現在も続けているのです。

はたして難関の芸大で学ぶことが大切なのでしょうか。超絶技巧の作品を発表することが大切なのでしょうか。
優子さんの作品は、今まで彼女が体験し体感した多くの眼に見えないものがどんどん身体に入り込んでいき、
それらが彼女の感性というフィルターを通してカタチになっていったもの。
言い換えれば、優子さん自身にとって気持のよいモノが自然体で制作されていったもの。
優子さんの作品がいいなと思う私は、その気持ちよさに共感できたということかもしれません。




コラム vol.79 "杉村徹さんと音楽" "池田優子さんの気持ちの良い方向"