ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.74 "ウエダキヨアキさんの『浄化あるいは再生』" "ギャッベの心身への効能"

ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.74 "ウエダキヨアキさんの『浄化あるいは再生』" "ギャッベの心身への効能"

<2015年1月号>

ウエダキヨアキさんの『浄化あるいは再生』

生まれ育った兵庫県姫路でアトリエを構えるウエダキヨアキさん。
名古屋芸術大学で洋画を専攻。
卒業後中学校の美術教師になり、仕事の合間を見つけては絵を描き続けていました。
その後、特別支援学校で勤務することになり、職業訓練のための陶芸の授業と出会いました。
粘土をこねて造形して窯に入れて焼きあがったものは、元の粘土とは全く違うものができてくる。
このプロセスがおもしろいと感じ始めました。
自分の内側に眠っていた『自分のやりたいことで生活していきたい』という意識が呼びさまされてきたのです。
思い切って仕事を辞め、創作活動を生業にしたいと考えました。
以降、作家・ウエダキヨアキとして活動し始めたのです。

ウエダさんの絵や陶の上絵には、何か化学の結合図に出てきそうな不思議なモチーフがよく使われています。
これは、モノも人も世の中のもの全てがつながっている、そのつながりがあらゆるものを生み出し尊いのだと。
そしてそれは次なるモノへのつながり”となっていくのです。
マユミやワレモコウのような植物が芽を出したり枝分かれしたり実をつけたりという素粒子の結合図のようなモチーフに表現されていきます。
ウエダさんの創作のテーマに『浄化あるいは再生』という言葉があります。
それは幾多の現象や経験を乗り越えて、また新たなものへ生まれ変わっていくという想いがこめられており、
これまでの経緯があればこそ今のかたちにつながっているということだと思います。

ウエダさんご自身はというと、朴訥で誠実、ソフトな雰囲気をお持ちですが、内側に強い信念も感じられます。
彼の抽象的な絵柄は、色遣いやモチーフの構成が繊細かつ魅力的で、芸術的でもあります。
手のこんだ技巧だけにはとどまらない、何か温かな生命の力さえ伝わってくるものがあります。
アートが身近に感じられ心が満たされる、そんなウエダ作品を実感していただきたいです。どうぞご高覧ください。








ギャッベの心身への効能

gallery ten では、神戸智恵子さんのセレクトするTiny Knots のギャッベやキリムを3年連続でご紹介しています。
当初は“ギャッベ”というワードが初耳の方、漠然とだけ知っている方がほとんどでした。
ですが、このたった3年の間に、ギャッベの魅力にとりつかれる方、使って良さを実感されたリピーターがすごい勢いで増えてきました。
イランのカシュガイ族が織り上げる素朴で温かい世界で唯一のギャッベになぜこれほどに惹かれるのか・・・。
神戸さんが考えるその理由にとても共感でき、今回は、彼女の見解をご紹介いたします。以下神戸さん談。

ペルシャ絨毯を見ていると、だんだんその視線は絨毯に近づいていきます。
その緻密な模様のせいでしょうか、一点に引き寄せられる感じです。
視点がどんどん狭くなるような、そんな心持ちがします。

でも、ギャッベの場合は逆のような気がします。どんどん視線が遠ざかるのです。
そして時には俯瞰しているというか、自分のことでさえも遠くから見つめている感じになるのです。
それはたぶんギャッベに織り込まれたヤギや子供、草や木を自分に投影しているような感じになるからではないでしょうか。
広いところから自分を見つめているような感じになるのです。

世の中が何事も分析され、どんどん細分化されているように思います。
どんどんと突き詰めていってしまい、視点が狭くなり、些細なことにこだわり、最後は逃げのきかないところまでいってしまう。
でも、自分を遠くから見てみるとか、広いところに身を置いた自分をイメージするとか、
そんなことをすると自分が持っているこだわりや悩みが小さなものなんだな、と思うかもしれませんね。

また、ギャッベは糸を作るところから織り上げるまで、自分を含めた一族で行うことがほとんどです。
誰かの許可を得たり決まり事に縛られたりせず、自分で織りたいように織る。それがギャッベの基本。
この自由な解放された心持ちがあるから、ギャッベは見る人の気持ちをおおらかにするのではないかと思います。

ギャッベの第一の役割は部屋を心地よく過ごすためのものですが、
こんな見方をすれば別の役割もあるのだなと思ったりもします。



コラム vol.74 "ウエダキヨアキさんの『浄化あるいは再生』" "ギャッベの心身への効能"