ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.64 "小山乃文彦さんの暮らし" "久世智也さんのプロファイル"

ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.64 "小山乃文彦さんの暮らし" "久世智也さんのプロファイル"

<2014年3月号>

小山乃文彦さんの暮らし

愛知県・常滑に小山乃文彦さんを訪ねました。
小学生のころから漠然とモノを作る人になりたいと思っていたという小山さん。
高校卒業後の進学を考える時、ご出身の熊本の田舎町では美大とか芸大という選択肢は思いもつきませんでした。
結局、大学の経済学部に進むも勉学に身が入らない。
でも、陶芸クラブの存在を知り、入部後、陶芸にのめりこみました。
大学を中退し、常滑にある陶芸研究所できちんと学ぼうと入所。
その後、環境彫刻を制作するアトリエで助手を務めるが性に合わず、自分で暮らしの器を作っていこうと考えました。

小山さんの作陶は、土を掘り起こし採取し、そこからやきものを作るための粘土をつくるところから始まります。
その土アジを最大限に活かし、手にとったり料理を盛ったり、日常の道具として作られる小山さんの“粉引”の器。
成形した粘土に白い土で化粧を施す。素地の土の気配が感じられ、優しくて柔らかい白をめざす。
小山さんの器は使うたびに、手や口への触感、心地よいサイズ感、ムダのない造形、使い勝手のよさ、・・・・・。
多くの器への配慮に気づかされます。

将来に不安を抱え悩める若者たちが社会で行き詰ったりすることの多い現代を憂いながらも、
お金や地位、仕事や肩書、貧困、環境問題、・・・・・などと対峙しつつ、
『生きていくことはそんなに難しくない』ということを考え、自ら提言し実現してみようと、
小山さん、日々の暮らしの中でいろいろな試みをされています。
たとえば“時計ストーブ”と呼ばれる鉄で簡単にできた薪ストーブを少し改造し熱効率アップと煙対策をクリア。
驚いたのが、トイレ。大きなバケツに排泄物の大と小を分け入れて、おが屑などを加えて乾燥させ畑の堆肥にする。
電気や水道などのエネルギーや資源の消費を極力抑える。

常滑出張から帰った翌日なんとなくテレビを観ていたら、日本総研の藻谷浩介氏が出演しておられ、
NHK広島取材班とタッグを組んで『里山資本主義』なるものを提唱されていました。
早速、著書を買って読んでみましたが、これが、まさに小山さんの言わんとしておられることだったのです。
猛烈に働いてお金を稼ぎ、残された少ない時間でお金をかけて生活をするということではなく、
時間をかけて工夫して暮らすことで、収入は減るが支出も減ることで豊かさを生むというのです。

小山さんの作陶は、“スローライフ”というひとことでは語りつくせないライフスタイルの流れのうちのひとつとして存在し、 それが自然な生活の営みとして淡々となされていくことなのでしょう。




久世智也さんのプロファイル

千葉県・茂原にアトリエを構える久世智也さんは、gallery tenのスタッフで作家の礼さんのご主人。
しょっちゅう顔を合わせていますが、今回、企画展でお世話になることになり、取材して彼の新しい側面が見えてきました。

久世さんが高校3年生のころ、文系の大学に進もうと漠然と考えていたが、特にやりたいこともなく、 突如として、ご両親の反対をおしきって奈良にある美大の陶芸科に進学しました。
芸大や美大に入学しようと思う人たちは、普通、デッサンや美術などの予備校を経てくることが多く、 ポっと受験して入学した彼は、しばらくは何にもできない自分が苦痛だったそう。
4年生の時に、金沢にある卯辰山工芸工房に進もうと受験するも不合格。
卒業後、数年は実家に戻りアルバイトをしながらぼんやりと過ごす毎日。
バイト代を貯めて、バイクを買い、いろんなところにツーリングしていましたが、
ある時、もう一度卯辰山を受けてみようと思い立ち、受験しみごと合格。
ここでも陶芸を専攻し、講師の板橋廣美氏の鋳込みの授業で、久世さんは衝撃を受け、 以降、鋳込みで制作することに没頭しました。

卒業間近になり、今後どうしようと考えた時に、ふと高校生のころ、部屋のオーディオの棚を、
ホームセンターで買ってきた安い木材で作ったことを思いだしました。
なんとなく、陶芸で生きていくのは大変そうだし、木工をするにしても何か人と違うことをしようかといろいろ調べ、 「パイプオルガンを作ろう!」と決意。
私がそれを聞いたとき、パイプオルガン???と不思議に思ったのですが、
金属のパイプの部分以外は、木で作られており、特殊な木工技術を要し、職人としては希少な存在。
すぐに「弟子にしてください」と手紙を書くも返答なし。
また問い合わせたら、まずは基本的な木工の技術を学んでから来いと言われる。
木工の職業訓練校を受験したのですが、面接で夢を語ったのが災いしたのか(笑)、不合格。
都内の木工塾を見つけ、そこにバイトしながら通い始めました。

その間、卯辰山で1年後輩だった礼さんと結婚、礼さんも働き生活を支えました。
現在の場所に古い家と土地を見つけ、久世さん、そこで木工家として独立。
まずは木工教室を開きました。
教えることで自分が学べること、多くの生徒さんと交流することで新しい発見があること、きちんと収入を得、生計をたてられること。
そうして、久世さんのオリジナルの作品を作り始めました。

今回は、カッティングボードを中心に、スプーン、フォークなどのカトラリー、トレイなどを出展していただきます。
優しい木の作品が勢ぞろいしますので、どうぞお楽しみに。



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