ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.33 "丹精尽くす人・内田京子さん" "新宮州三さんの熱い魂" "竹俣勇壱さんの使いたいもの・作りたいもの"

ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.33 "丹精尽くす人・内田京子さん" "新宮州三さんの熱い魂" "竹俣勇壱さんの使いたいもの・作りたいもの"

ギャラリーテン  丹精尽くす人・内田京子さん 新宮州三さんの熱い魂 竹俣勇壱さんの使いたいもの・作りたいもの <2010年12月号>
丹精尽くす人・内田京子さん

内田京子さんの一日は長くて速い。
一人の娘、二人の息子、加えて一人の大きな息子(=夫で陶芸家の鋼一さん)との5人家族。
家事、子供たちの行事や習い事、来客の応対、鋼一さんのサポート、仕事上のおつきあい、・・・・・、京子さん自身の創作活動。
毎日、目の回るようなあわただしさで、ゆっくりテレビを見たりボーっとしたりする時間がなかなかとれないとのこと。
内田家の子供たちはいつもお母さんの取り合いをしているかのように、次々と京子さんに話しかけてきます。
側でみていると、京子さんはひとりひとりの声にきちんと耳を傾け、適切で簡潔な言葉を返す。
子供たちが京子さんに甘えてくるのを、「も〜、しかたがないなぁ」とたっぷり受けとめる。わが子がかわいらしくてたまらないという気持が伝わってくる。
大のやんちゃ息子(?)の鋼一さんが奔放なのは、きっと京子さんのあふれる母性に支えられているのだと思います。

京子さんに初めてお会いしたときは、楚々とした女性で、静かにたたずんでいるというイメージをもっていました。
つきあっていくうちに、飄々とマイペースに自らの道をゆっくり休まず歩き進む「強固な京子」の姿が見えてきました。
このことはものづくりにも顕著に表れています。
京子さんの作品はすべて“手びねり”によるもの。紐状にしたものを上に積み重ねて継ぎ目を指で押さえて均していくという原始的な作業が性に合っているのだそう。
指でクイックイッと地道につまみ、少しずつ少しずつ形づくっていく経過が楽しいと。
信楽の土で簡素に成形したものに化粧土を掛け焼成→表面をこすって肌の内側にある素性を露わにし再度焼成→表面をこすりなんともいえない風合となる。
ひとつの作品ができあがるまでに、どれだけ京子さんの手によって丹精されたかが、生き方にもリンクするような気がします。
ずっと変わらず独自のスタンスでコツコツと続けることの、芯の強さと情愛の深さを知る。
京子さんご本人も作品も、時が経つのとともに、じんわりと温かさが伝わってきて、長ーく大切につきあいたいなぁとしみじみ思うのです。



1回めの焼成後(左)と2回めの焼成後(右) by京子さん
               















       






VS











       

















新宮州三さんの熱い魂

JR京都駅から周山行きのバスに揺られて、龍安寺、仁和寺、高山寺を経由するルートを1時間半。
潔く天を突き刺すような北山杉の縦縞が、伏見稲荷大社のような幾重にも続く鳥居をくぐっていく不思議な感覚となり、神聖な安堵の気持ちで満たされていきました。
「えー、ホンマですかぁ。」が口癖の、明るくて人懐っこくて満面の笑みが親しみいっぱいの関西人の新宮州三さん。
お互いしゃべりだすと止まらないくらい、食べ物、お笑い、プロレス、こどものこと・・・などの俗っぽい話題で盛り上がる。

ご両親は大学時代美術部に所属され、おじい様やおじ様は工芸、民藝に造詣が深く、新宮さんにものごころがついたときには日常に美を愛でる環境がありました。
新宮少年、小学生のとき、木製の骨董品を買ったり、中学生のときには、おじい様の家にあった一木から刳り抜いた大きな漆仕上げの盆に感動しました。
それは彫刻家の榎本勝彦さんの作品で、今でもなお尊敬し続ける存在。
京都の大学で彫刻を専攻。鉄や石膏など様々な素材を扱ったが、特に“木”に惹かれたのだそう。
大学卒業後、就職せずに輪島の漆芸研修所へ入り、漆にかぶれながらも学ぶ中、木地づくりでろくろ挽きも課外授業として熱心にとりくんだ。
その後、人間国宝の木工芸家・村山明さんの弟子として7年間を京都の宇治で過ごす。
弟子修行とは、技芸を磨くため努力して学ぶことであり、同時に自己を捨て親方に従属すること。
並大抵の鍛錬ではなく、時には親方に「こんちくしょー!」と思ったこともあったが、今、本当に深い感謝の気持ちがこみあげてくるのだと。
村山さんの“形”へのこだわりが、新宮さんの肌身にしみこんだのです。新宮作品の象徴でもある“刳りもの”の長年の修行でした。
栗やケヤキの木の塊をノミで刳り、カンナで削りだす。この仕事は、ただ願いを込めて形を造りだす行為という新宮さん。
漆の世界で、木地をつくるところから塗りや装飾までの過程には、多くの専門職人による分業制で制作されることが通例です。
新宮さんは最初から最後まで自分でつくりあげることはもちろん、形、テクスチャーの究極を追求する強い信念のもと、彼の内側から熱い魂が伝わってきます。
膨大な量のいろんなカタチのノミやカンナやゲンノウなどの手入れの行き届いた道具を見せていただきました。たしかな仕事には、たしかな技能とたしかな道具が必要です。
端正なきちんとした仕事は美しい。でも、粗さと精密さとの絶妙なバランスを知る感性による仕事は“気”を放ち、もっと美しい。それが新宮さんの仕事だと思います。
ほんの数時間しか話をしていませんが、なにか理屈ではない信頼感が得られる誠実な人柄と仕事をかいまみ、私は幸せな気分で帰路につきました。



竹俣勇壱さんの使いたいもの・作りたいもの

数年前、金沢の町をブラブラしている時たまたま入ったお店に、以前に都内のギャラリーで見て素敵だなぁと思っていたものと同じ作品がおいてありました。
お店の方に「これはどなたの作品なんですか?」と尋ねたら、「この店のオーナーが作っています。」と。
奥から出てこられたオーナーの竹俣さんに、即、展覧会の依頼をし、今回お世話になることになったのです。

なかなか気に入ったアクセサリーが見つからず、自らが作り手となった竹俣さん。
独立した当初は、オーダーが入ればキャラクターものを作るという仕事もされたそうですが、ここ数年、空気が変わってきたのだそう。
ユーザーから作家になった今、自分が使いたいもの・持ちたいものは、機能性が高いものではなく、質感やデザイン重視だときっぱりおっしゃいます。
私は急須やポットが大好きで昔からずっとたくさん集めています。
本来お茶をおいしく淹れたり水切れがよかったりという機能性の高さを要求されるアイテムではありますが、私の場合やはり竹俣さんと同じ観点で選んでいるのです。
もちろん機能性を備えていることは重要なポイントなのですが、少々不便でも五官に気持ちの良いウキウキするようなモノを使うことに喜びを覚えます。
竹俣さん自身が本当に作りたいものだけを店頭に置いていった結果、そういうものが好きな人だけが来店し評価し買って行ってくださるように。
そんな中で、ある作家の方が竹俣さんの作品を自分の展覧会のディスプレイに使われたことから、多くの感度の高い人たちに注目されるようになったのだそうです。
後に竹俣勇壱という作家名で展覧会で発表するようになりました。
今回、カトラリーや皿、アクセサリーなど、クールな竹俣さんが作るクールな金属作品が勢ぞろいします。
きっと今までに出会ったことのない金属の魅力をお伝えできることと思います。ご高覧ください。

コラム vol.33 "丹精尽くす人・内田京子さん" "新宮州三さんの熱い魂" "竹俣勇壱さんの使いたいもの・作りたいもの"