ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.14 "さとうしのぶさんのアトリエ訪問""お笑いという文化"

ギャラリーテン/gallery ten〜コラム vol.14 "さとうしのぶさんのアトリエ訪問""お笑いという文化"

さとうしのぶさんのアトリエ訪問 お笑いという文化(ギャラリーテン〜コラム vol.14) <2007年12月号>



さとうしのぶさんのアトリエ訪問

平面作品も立体作品も、大人の乙女心を刺激するさとうしのぶさんの世界。
さとうさんの版画は、至って単純で線が生きていてプリミティブ。そのものの本質がそこに確かにあります。
シンプルな造形なのに、それが多くを物語るような気がします。
それはまさにゆるやかにたたずむさとうさんそのものです。
さとうさんのアタマの中に浮かぶイマジネーションがそのまま形になった作品。

部屋の壁にひとつ掛かっているだけで、半径3メートルの空間がさとうさんカラーに染まります。
もう少し離れて眺めてみると、半径5メートルの中にムダなものが何も置けなくなるようなオーラを放っているのに気がつきます。
そこから徐々に感覚が研ぎ澄まされてきて、部屋全体のバランスやプロポーションまで気になり始めます。
あなたのお宅の壁には、絵が掛かっていますか?それとも写真?掛花入れ?オブジェ?布?書?
それらから発する何かが感じられるでしょうか。

さとうさんのデスクの前の壁には、いろんな顔・顔・顔・・・・・。
なぜかしら“顔”に惹かれるのだそうです。
壁の顔はみんなこちらを見ている。今にもしゃべりだしそうだ。
ビビビとパワーを送ってくれているような気もするし、薄っぺらい顔が薄っぺらい私の内面を小馬鹿にしているようにも見える。
その顔はずっと同じであり続けるけれど、見る人の精神状態でどんな風にも見えるのかもしれない。
これは鏡に写った自分とにらめっこをしているようなもので、自身を深く見ようとさせてくれる神様なのだ。・・・と勝手に感じた。

版画の技法は多様にありますが、銅版画(エッチング)の最も基本的な制作過程を見せていただきました。
磨いた銅板を、松ヤニ+蜜蝋+アスファルトでできた液体グランドでコートする。
その銅板の上に、ニードルで引っ掻くように描く。
腐蝕液に浸す。この作業によって、描かれた溝の部分が腐蝕する。浸す時間によって腐蝕度が異なる。
布でグランドを拭き取る。描かれた溝(腐蝕部)に銅版用インクを埋め込む。
さらに表面を拭う。この拭い加減で、線や面の色の表情が微妙に変わる。
プレス機に銅板を置き、その上に湿らせた版画紙を載せ、プレスする。
これでできあがり。

今回の企画展では、多くの陶芸家による急須やポットが勢ぞろいしますが、壁面にも注目してみてください。
さとうさんによる、ポットをモチーフにした版画、ドローイング、ミクストメディアなど、ギャラリー空間全体がポットで埋まります。

煎茶、玄米茶、紅茶、中国茶、ハーブティ、珈琲・・・・・。さて、今日はどのお茶を楽しみましょうか。



お笑いという文化

私は大阪生まれの大阪育ちです。
物心がついた頃から、お笑いの空気感はいつも自然と身の回りにありました。

関東に住むようになってから、吉本新喜劇が恋しくなり、大阪の“うめだ花月”の劇場に行ったことがあります。
落ち着きのない小学生やら、ベタベタしたカップルやら、よぼよぼのおばあちゃんやら、赤ちゃんをダッコした若いお父さん、
驚いたことに、ビシっとスーツできめた紳士や、気品あふれる淑女までいました。
劇場の中では、まさに老若男女のいろんな人種がひしめきあって開演を待ちわびている。
ベテランから若手まで数組の漫才のあと、いよいよ新喜劇。
私が子供の頃、毎週土曜、学校から帰って当たり前のようにテレビで観ていたときのままの音楽にのって幕が上がる。
役者さんは私が観ていた頃とはかなり変わっているけれど、それでも相変わらずのお決まりのベタなオチがたまらなくおもしろい。

たまに実家に帰ってテレビをつけると、やたらお笑い番組が多い。
お笑いに飢えていたかのように、これでもかというほど、その手の番組を観まくるのです。
あのニュアンス、あの間、あのテンポ、あの言い回し、あのボケよう、あの往年のネタ、・・・・・。
関東に移住(!)して15年以上経った今、自分の感度が鈍っていることを思い知り、ちょっと打ちひしがれたりします。

私たちが生きていくうえで、コミュニケーションがいかに大切かを実感しています。
損得勘定の意識が高い大阪人の血からか、「どうせなら、たくさんのヒトやモノに出会って、たくさんおもしろいことする方が得やん♪」と思うわけです。
いつどこででも、心を開いて気持ちの通じ合う関係を持てたなら、そこからどんどん楽しい世界が広がっていくような気がします。

単にテレビでお笑い番組を観るだけの行為は、何も感じなければそれは一方的な伝達に過ぎません。
でも、観ていて、心躍らされたり、ガハハと大笑いしたり、「なんでやねん!」とつっこんでみたりすると、たちまちそれが相互の生きたコミュニケーションとなるでしょう。
ヒトとヒトが交流して何かを共感したり行動したりすると、文化に派生し、その時代の気分を映す象徴となり、育ったり落ちぶれていったりします。

いまやパソコンや携帯電話が普及し、eメールがコミュニケーションの一役を買う偉大なツールとなっています。
メールも捨てたものではないのですが、やはり、相手の表情や熱気を感じながらの対面でのコミュニケーションの魅力には勝てません。

“お笑い”は、江戸・元禄時代の上方文化の名残。
それは、衣食住はもちろん、娯楽としての歌舞伎や能、狂言、文楽、落語などの、豊かで奥深い文化。
あらゆるものに貪欲な好奇心をくすぐるその文化に浸ったその頃から、大阪人にとってエンターテインメントが宝であり続けてきたのだと思います。

お笑い芸人には、親しみ満点あるいはシュールな雰囲気をかもし出し、独特の視点で瞬時に的確かつヒトの心をつかむコメントをする鋭い機転が要されます。
膨大な数の人たちを幸せな笑顔にし、時代の文化を生み出す才能あふれる笑いのクリエイターたちに、賞賛の拍手を贈ります!

コラム vol.14 "さとうしのぶさんのアトリエ訪問" "お笑いという文化"